ヒゲにあこがれて

見たもの、聞いたの、読んだもの、をまとめたり

好きな人とご飯を食べることが素敵だと思う理由

前回の記事の追記というか、

自分でも何で誰かとご飯を食べることが尊い

と思えるようになったのかなと疑問に思って、

今これを書いています。

 

なぜ疑問に思うかというと、

なんせ僕は自分が大好きなんです。

 

自分の時間とかめちゃくちゃ大事だし、

家でダラダラしたいから飲み会に行かないとか、

そのくせ1人では飲みに行くとか、

何というか、そういうやつなんです。

自分が大事で可愛くてしょうがない自己中心的な人間です。

 

そんな人間が誰かとご飯を食べることの尊さを

不特定多数の人に向かって、記事にして発信するって

もはや笑えないギャグじゃないですか。

東京の人が使う「なんで⤴︎やねん」くらい笑えないじゃないですか。

 

その理由を自分の中で考えてみたら、

2つ見つかりました。

「僕はそんなに大したことない人間だって自覚したから。」

「僕の好きな人は、僕が胸を張って凄い!尊敬する!と言える人達だから。」

色々出てきたけど、この2点に集約されるんじゃないかな。

 

まず、自分ってそんなに大したことないな〜って気づきました。

大したことない人間に、自分へのご褒美でラーメン全部盛りと瓶ビールなんて贅沢すぎる。

でもまぁその分、まじめに色々やらなきゃいけないなと思うことが出来たので、これはこれでよしとしてます。

 

それと、2つ目なんですけど、

単純に自分が凄い!尊敬できる!

って人とご飯食べてたり、

一緒になんかしてる方が楽しくないっすか

っていうだけで。。

何というか、そう思える人が身近に何人もいるっていうのは、

ある意味大したことない自分の、

唯一誇れる自慢というか、

 あぁ〜恵まれてるなと思う次第です。

 

高校時代はブログに

友達がいないとつらつらと書きつらねてた人間が、

数年経つと真逆のことを言ってるんだから、

ほんと自分って大したことないなーと思いつつも

でも、まぁ自分以外にも好きな人達がいるんだからしょうがないかーって感じです。

好きな人とご飯を食べること

アツがなつい。

いよいよ夏本番って感じの暑さになってきた。

 

アツがなついといえばピンポンの中の名言の1つなんですが、

熱さという熱さが詰まりに詰まった映画だから是非とも見てほしいなと思います。

 

夏は、、、なんというか嫌いだ。

うん、好きじゃないというより嫌いだ。

暑いし、皆意味もなく浮かれてるし、暑いし、

いいことといえば、ビールが死ぬほどうまいってことぐらいしか思い浮かばない。

それも冬の黒霧お湯割りに比べたら、、

 

そんな夏でも悪くないなと思う瞬間もある。

例えば、そう、美味しいかき氷を食べている時。

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こんな贅沢なかき氷、1人で食べても美味しいけど、

自分の好きな人と食べるとリアルに2倍美味しく感じる。

 

好きな人って言うのは

恋人だったり

友人だったり

家族だったり

 

まぁ、なんというか、皆さんの思う好きな人と一緒に美味しいものを食べるっていうのはめちゃくちゃ尊いことやと、僕は思ってます。

 

別にそれが高級なものじゃなくて、

近くにあった天一でも、

誰かと美味しいものを食べる。

 

そんなことで割と元気になったりできるって気付けたりした夏だから、

この夏は例年より、騒々しい日が続くかも。

社会人になって数ヶ月、個人的に僕が思うこと

社会人になって数ヶ月。

自分の思うことをほんの少し。

 

正直、今と大学生活でいうと今の方が楽しい。

毎日の濃さみたいなのは学生時代とは比べものにならないし、

下世話な話、お金だって前よりもらっている。

友達と会えないかというとそうでもなくて、

むしろ会いたい友達と飲みに行ったり、お茶をしたり、っていうことは増えたんじゃないかな。

 

ただ、1つ大学生活の方が良かったというか、

これだけは二度と手に入らないなっていうのは、

無責任でいられる毎日

かなと思ってる。

 

僕のイメージ、一回社会に出るということは

高速道路に乗るようなイメージで、

悩んだり、困ったりしても、極力止まっちゃいけない。

もちろん疲れたなって時はSAに入ったりもできるんだけど、彦根-京都間くらいSAがないかもしれない。

 

学生の頃は立ち止まるのも進むのも自由で、

ありえないスピードで高速道路を飛ばす人もいれば、

下道で路肩に車を止めて、「ナビ通り来ただけなのに〜」なんて人もいる。

 

でもそんな無責任な毎日は、

無責任だけど無意味じゃなくて、

むしろその逆で。

 

月並みな言葉だと、

その中で何をしてたか

なんだと思う。

 

それが仮に、

毎日昼前に起きて、屋上でタバコをふかして、

とりあえずラーメンでも食いに行くか

っていう毎日でも、僕は全く無意味じゃないと思う。

 

嫌でも責任を負わなきゃいけない時期はきて、

その責任はきっとどんどん重くなると思うから。

 

実際、僕も大学生活最後の半年は、

DJしてるか、本読むか、カレーを食べるか

みたいな毎日だった。

なんとまぁ無責任。

 

あの無責任な毎日をこんな風にほんの少し羨ましく思ったのは、留年した友達が家に泊まりに来たからなのだけど。

自分と自分の大切な人-「 ちょっと今から仕事やめてくる - 北川恵海 」

自分の能力の無さと向き合わなきゃいけないのは本当に辛い。

まだまだ若いとは思いつつも、向き合わなきゃいけない度合いは10代の頃と比べると、圧倒的に強くて

それはきっと、今後もっとちゃんと向き合っていかなきゃいけないんだと思う。

 

そんな事を考えると、生きるのハードだーとか思ってすぐに自己否定したくなる。

 

そんな自分を支えてくれてるのは、

身近な人が、言ってくれた言葉だったりする。

 

例えば

あの子が言ってくれた

「めっちゃいいと思ったよ」

だったり

あの人が言ってくれた

「センスあるよ」

だったり

あいつの言ってくれた

「お前はクソだけど最高だ!」

だったり

 

僕は何だかんだ自己顕示欲の塊で、

色んな人に自分のものを見てもらったりして、

何かしらの意見が欲しかったりする。

こういうとかっこよくも聞こえるけど、

要はただのかまってちゃんってわけで、

すごくダサい。

 

誰からも望まれてないのに、

こんな駄文をネットの海に垂れ流して、

毎日帰ってパソコンに向き合いながらなれないソフトをいじって音楽をしたためたり。

 

これって誰に向けてるんだろうとかって考えた時、

一番に思い浮かぶのは、こんな自分に何かを感じてくれた周りの人で、

その人達と自分がいい!と思えるものを、

悩んだらしながらも作れたら単純にすごく嬉しい。

 

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 作者: 北川恵海

Title: ちょっと今から仕事やめてくる

 

仕事はさらさらやめる気はない。

楽しいし、まだまだやりたいこともある。

 

この本で思ったことは、ただ1つ。

自分と自分の大切な人たちを一番に考えようってこと。

 

自分に自信はさらさらないけど、

ずっと、オレにはセンスがないから、、って言い続けるのはあんまりかっこよくない。

心の中ではずっと思ってるんだろうけど。

 

僕のことを支えてくれてる周りの大切な人たち。

その人達にいつかどんな形であれ、喜んでもらえたり楽しんでもらえたりしてもらうものをお返ししたいなと思う次第です。

比較優位による自己否定感情の正当化

比較優位という言葉を知ってますか?

ウィキペディア先生によると

 

これは、自由貿易において各経済主体が(複数あり得る自身の優位分野の中から)自身の最も優位な分野(より機会費用の少ない、自身の利益・収益性を最大化できる財の生産)に特化・集中することで、それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようなることを説明する概念である。

 

とのことで、何がなんのことやらって感じですよね。

 

僕のすっごく単純な理解は、

「みんながそれぞれ得意なことやろうよ。それを、交換したりしたら一番ええやん。世の中いい感じになるやん。」

ってなもんです。

人には必ず比較優位があるからそこにリソースを投入すれば、結果として効用が増す。

 

で、その比較優位が自分のしたいことじゃなかった時にどうするの、なんて話は経済学では教えてくれない。

そもそも僕たちは合理的な判断をする経済人として存在してるし。

 

自分のやりたいことが、仮に誰からも求められていないとしたら、

全体最適を考えて、得意だけど本当にやりたいことではないことにリソースを。

なぜなら僕たちは合理的な判断をする経済人だから。

 

はて、合理的な判断ってなんだったっけ。

自分のやりたいことってなんだっけ。

でもそれって求められてないんだっけ。

 

そっと自分のやりたいことに蓋をすることにしますか。

あれ、蓋ってどこにやったっんだっけ。

 

あっ、底の方に穴も空いてるから直さなきゃ。

あれ、これってどうやって直すんだったっけ。

 

どうにもまだ、蓋をすることも穴を直すことも出来なさそうな気がします。

気づかないふり- なぎ / 環roy

日本語って面白い言葉だなと思う。

日本語以外の言語が堪能じゃない、

そもそも日本語も堪能じゃない僕が言うのもなんだか、

日本語は面白いと思う。

 

1つの言葉が色んな意味を持つというか、

言葉の中の言葉以外の意味(もう日本語が不自由なのがバレる)が多いというか。

 

その一方で、人によって色んな捉え方をしてしまうという側面もある。

論理的に学習するには英語の方がいいと、

読めもしない英語の専門書を読んでた大学時代もあったなぁ。

 

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Artist : 環roy

Title : なぎ

 

この「なぎ」という言葉も色んな意味、色んな想像を膨らますことが出来る言葉のように思える。凪だったり、そこからなぎさなんて言葉を連想したり。

 

https://www.google.co.jp/amp/s/qetic.jp/interview/tamakiroy-pickup/249066/amp/

 

このインタビューを読んでもらってから、

アルバムを聞くと、なるほどそういうことだったのか

と納得のいくことが多い。

 

環royを聞いて、HIP HOPじゃないとか、アーティスト気取りかよ、とかそんな意見をネットで見た。

僕はそんな人たちには中指を立てたくなる。

 

環royは自分がどんな風に周りから見えてるか、

客観的に理解した上で、

「オレはこう思うよ。君は?どう思う?」

ということを一貫して、色んな手法で伝えてくれる。

 

「君が気づかないふりをやめるまで ここで 待つよ」

「間違いや絵空事をいくつも描いた 君も同じだろう」

 

こんなことを歌われたんじゃ、朝から泣いてしまう。

言葉の面白さ、味わい深さ、自分の中の想い

みたいなものを改めて見つめ直すことが出来る。

そんなアルバムだと、僕は感じた。

朝マックによる幸福感における個人的な考察

朝マックを食べると幸せな気持ちになる。

なんかなりません?

少なくとも僕はなる。

朝からスタバとかに行くよりも何となくゆったりとした気持ちになる。

 

その理由は、

昼のマクドナルドよりも価格が安いから

朝の忙しなさから距離を置くことが出来るから

の2点ではないかと思う。

 

昼のマクドナルドとセット価格で比較すると、

朝マックのセットに単品のホットアップルパイをつけても

昼のバリューセットは買うことは出来ない。

 

また、スタバなどのカフェは意識の高そうな出勤前のサラリーマンが多く、

くううー朝からレッドオーシャン感じるーって気持ちになるが

マクドナルドは、何というか店員さんも含め少し気の抜けたコーラのようなだらんとした雰囲気がある。

まだみんなエンジンがかかりきっていないような。

 

そんな理由もあるのかなと思いつつ、

書きながら1つ思い出した。

朝マックにほんの少しの幸福感を感じる理由。

小さい頃、休みの日に早起きが出来たら、

家族みんなで朝マックに行ってたからかも。

ハッシュドポテト、昼にも販売してほしいような、ほしくないような。