比較優位による自己否定感情の正当化
比較優位という言葉を知ってますか?
ウィキペディア先生によると
これは、自由貿易において各経済主体が(複数あり得る自身の優位分野の中から)自身の最も優位な分野(より機会費用の少ない、自身の利益・収益性を最大化できる財の生産)に特化・集中することで、それぞれの労働生産性が増大され、互いにより高品質の財やサービスと高い利益・収益を享受・獲得できるようなることを説明する概念である。
とのことで、何がなんのことやらって感じですよね。
僕のすっごく単純な理解は、
「みんながそれぞれ得意なことやろうよ。それを、交換したりしたら一番ええやん。世の中いい感じになるやん。」
ってなもんです。
人には必ず比較優位があるからそこにリソースを投入すれば、結果として効用が増す。
で、その比較優位が自分のしたいことじゃなかった時にどうするの、なんて話は経済学では教えてくれない。
そもそも僕たちは合理的な判断をする経済人として存在してるし。
自分のやりたいことが、仮に誰からも求められていないとしたら、
全体最適を考えて、得意だけど本当にやりたいことではないことにリソースを。
なぜなら僕たちは合理的な判断をする経済人だから。
はて、合理的な判断ってなんだったっけ。
自分のやりたいことってなんだっけ。
でもそれって求められてないんだっけ。
そっと自分のやりたいことに蓋をすることにしますか。
あれ、蓋ってどこにやったっんだっけ。
あっ、底の方に穴も空いてるから直さなきゃ。
あれ、これってどうやって直すんだったっけ。
どうにもまだ、蓋をすることも穴を直すことも出来なさそうな気がします。